NO323 モトさんに捧ぐ・慰霊登山 |
2011、12、17 有志8名にて トップへ |
我らに少なからずご縁のあったモトさんが滑落死されてしまった。 我ら有志はモトさんの死を悼み遭難現場の直ぐ近くへ登り、献花・合掌したのです。 |
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↑この辺りの領域は我らの最も慣れ親しんでいる世界である。といってもそれは口バッカリの強がりで 実際の山は取り付いてみると本当に大きい。直ぐ隣に見える尾根に移動しようとトラバースを始めると 予期しないザレや崖や小尾根に当り、危険な状態に陥ったり勘違いによる迷子になったりするのだ。 |
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2011年12月8日(木)、モトさんは平日のいつものように単独で山遊びに出かけられた。 一般の方には知られていない事なのだが、丹沢の大半の尾根と沢は急峻で険しい。 険しいが故に、直ぐ身近な場所なのに非日常の世界がそこには広がっているのだ。 険しいヤセ尾根、岩壁に囲まれた沢の世界は畏怖の世界であり、身震いをする緊張の世界である。 山に憑かれた我らはその危険に満ちた世界へ敢えて入り込んで行く。 趣味の世界の一つではあるのだが、危険の中に身をさらす事に違いは無く、決して褒められた行為ではない。 結果として誰もが体験する事なのだが、その身に痛い思いをするのだ。 私自身も痛い思いをして怪我のリハビリ最中である。 その事故の中での極みが滑落死である事は云うまでもない。 我らには全くの他人事では無く「明日は我が身」なのである。 我らはモトさんの滑落死の事故を教訓として重要に受け止めねばならない。 |
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1、有志8名は15号橋に集結し、出発した。 |
2、ゴジラの背取り付きは新設仕事道である。 |
3、尾根は急登もあり、概してヤセ尾根である。 |
4、高畑山西側の鉄塔とその奥の稜線ピークは黍殻山。 |
5、尾根は急角度で標高を上げ、P677mに登り着く。 |
6、一旦ピークを通り越して南側へ稜線を下る。 KATさんがいる所の下の方が遭難現場なのだ。 |
7、今回のメンバーだ。(KATさん撮影) |
8、下降に入ったのだがP677mから南東の尾根を下る。 |
9、全て自然林で柵もなし。 |
10、何の問題も無くオオユナラノ沢へ降り立つ。 |
11、沢を少し下降(ゴーロ歩き)するが、これは○か? |
12、林道へ向って登る作業道あり。 |
13、林道に乗ったが足チカレタ・・・・。ヘロヘロ・・・・。 |
14、オオユナラノ沢に架かる橋を渡ればもう少し。 |
あとがき
今回のメンバーはAYさん、massyさん、まーちゃん、KAZさん、KATさん、YAMさん、ardbegさんと私の8名であった。 今日追悼登山できなかった他の山仲間もこの後、日を変えて慰霊に登られたと聞く。 我らとのお付き合いの期間としては短いものであったが、全く同じ趣向の「丹沢Vルート探検家」であられたし、 そのお付き合いした内容は非常に和気藹々として楽しく濃いものであったのです。 同胞モトさんの突然の死は、我ら一同の悲しみであるのです。 天国に旅立たれたモトさん・・、ニコニコ笑顔の温和なモトさん・・。 我らは貴方のことは忘れません。 どうか安らかにお眠りください。そしてたまに我らのことをチラッ覗いて笑ってください・・。 M−Kはまだリハビリ中である。家の回り、買い物などでもステッキを使用しないで歩けるようになった。 仕事は車のドライバーであるから支障なくこなせる。長い距離など酷使すると次の日は少し骨がチクチクする。 山は2本ステッキの普段からの使用者であるので手放せない。 今回のゴジラの背は急傾斜も多く、ヤセ尾根であるので要注意なのだ。 山行にお付き合い下さった皆さんには、カメペースでご迷惑をお掛けいたしました。 |
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モトさんとの思い出 NO205はモロクボ沢の中で始めてYAMさん、モトさんと出会う。 NO210はイガイガさんに連れられてモチコシ沢を 遡行して後半のゴーロの詰めを登っている時に下降して来られてのサプライズ遭遇。そのあとモトさんは我らを鉱山跡へ わざわざまた案内して下さったのです。 NO246は早戸川ー原小屋沢ーカヤノ沢のコラボ山行に参加して下さり、楽しい一日を共に過ごしたのでありました。 |
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